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立原道造「盛岡ノート」

店長のコトラコが出張のため、
ワタクシ、店長の美人秘書サカコがおしゃべりさせていただきます。 コホン。


秋風が肌に冷たくなりはじめ、すすきや、秋の虫や、紅い林檎の実が成る、丁度今頃の季節のこと。

昭和13年(1938)、一人の青年が盛岡に暮らしました。

その青年は夭折の詩人 立原道造。

亡くなる半年前の事です。

ゲーテが『イタリア紀行』で、恋人シャーロッテに向けた書簡の体裁で書いてあることになぞらえ、立原道造が恋人の水戸部アサイに向けた文章で書きあげた『盛岡ノート』。

“僕は文字で景色をつたへたいなどと いままで一度もおもひはしなかった。しかし いま おまへのためにこの僕の眼がはじめて風景を見たおどろきを そのまま おまへにつたへたいと おもふ ・・中略・・僕の言葉の無力さ!どうしたら おまへに この風景をつたへることが出来るだらうか この風景のよろこびを”(『盛岡ノート』より抜粋)

まるで道造が書いた盛岡へのラブレターのようです。

盛岡と道造の縁をつないだのは、画家・深沢紅子。
道造は愛宕山の裾野にある紅子の実家「生々洞」に住み、その伯母(マメノオバサン)の世話を受けながらおよそ一か月滞在しました。

「光の中にある」と表現したほど、
盛岡での暮らしや人々との交流は彼の心に温かさとと明るさをもたらし、
景色は新鮮な感動を与え続けました。

盛岡にまだまだ滞在したいという望みは、
道造の“小さな病気”によって絶たれ帰京することになりました。

“この町には あと二日しか ゐられないのだとおもふと胸いっぱいになる そんなに この町は いいところだった!”(盛岡ノートより抜粋)


「次回はりんごの花咲く時期には必ず来ます」と、道造は幾度も周りの人に言います。

しかしその願いは、彼の死によって叶うことはありませんでした。

病床にあってなお、盛岡に想いを馳せていた立原道造。

彼が納棺された時、盛岡の林檎がそっと入れられたといいます。



昭和50年(1975)、道造の願いを叶えるように、愛宕山に彼の文学碑が建てられました。


サカコは『盛岡ノート』を片手に道造の見た景色を追いかけてみたことがあります。
丁度、今頃の季節です。

もりおか歴史文化館に荷物を置いて、みなさまも立原道造のような気持ちで盛岡の街を歩いて楽しんでみてはいかがでしょうか・・。
(愛宕山展望台奥にある道造の詩碑まで当館からゆっくり歩いて45分)



アダジオ
光あれと ねがふとき
光はここにあった!
鳥はすべてふたたび私の空にかへり
花はふたたび野にみちる
私はなほその気層にとどまることを好む
空は澄み 雲は白く 風は聖らかだ


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